竹新製菓(株)
愛知県知多市岡田字太郎坊109-3
TEL:0562-55-3727
http://www.tatushin.co.jp/
昭和の空気漂う、古き良き「家業」。
「これは途中で割れちゃったものです。よかったら、ご試食いかがですか?」カラリとした明るい声の主は、竹新製菓社長の新美舞さんだ。商品の名は「みりん揚塩味」。ひと口かじると、サクサクの食感とほのかな甘み、そしてうるち米の旨みが口いっぱいに広がる。シンプルな揚げせんべいが、ここまで美味しいとは―。もうひとつ、と手を伸ばしたい衝動をぐっと抑え、周囲を見渡す。増改築を繰り返してきたという工場は迷路のように入り組み、生産設備はその多くが年代物だ。手作業が多いからなのか、なぜかどこかアットホームな空気が漂う。舞さんが声をかけると、ベテランスタッフが笑顔で冗談を返す。こうした光景が、昭和の時代から連綿と続いてきたのだろう。浮かび上がってくるのは、古き良き「家業」の姿だ。
「廃番の機械ばかりだから、故障したときのメンテナンスが大変なんですよ。それでもどうにか、自分が美味しいと思うものにこだわってつくっています」。おおらかさの中に芯の強さを感じさせる舞さんは、2018年の社長就任後すでに3度の出産を経験しているというから驚く。前社長であり、今は相談役として現場をサポートする父・範恭(のりやす)さんも交え、これまでの歩みについてうかがった。
ふたつ返事でOK。
「いいよ、私が社長になるよ」。
1946年の創業以来、竹新製菓はもち米を原料とするおかき・あられ、うるち米を原料とするせんべいを製造販売してきた。父と娘に共通するのは、物心つく前から従業員に子守りをしてもらい、工場や事務所を遊び場にして育ってきたことである。学生の頃に家業を手伝ってきた点も同じだ。しかし、社長就任の経緯は大きく異なる。
四人兄弟の長男として生まれた範恭さんは、家業を継ぐことを前提に問屋やスーパーで修行し、竹新製菓に入社。バブルの最盛期には、従業員数が300名を超える大所帯も経験した。だが、その後は売上が低迷し、社長を継いだ2009年頃には経営難に直面。いわばピンチヒッターとして経営の立て直しを託されたのだ。「完全に立て直せたわけじゃない」と言うが、在任中の約10年をかけて危機を切り抜け、舞さんへとバトンをつないだ。
一方の舞さんは、三人兄弟の真ん中っ子。社長どころか家業に入るつもりすらなかったという。「兄が継ぐと思っていたので、職を転々としていました。夢といえば、駐在員妻になることくらい(笑)」。ところが、その長男が全く別のビジネスで起業したのを境に、風向きが変わる。ある日突然、範恭さんから呼び戻されたのだ。跡継ぎとして入社しないかという誘いである。「当時の私は『町のおかき屋さん』くらいの認識でした。従業員には顔なじみも多く働きやすそうだし、他にやりたいこともない。それで『いいよ、私が社長になるよ』と軽い気持ちでOKしちゃったんです」。後継者不在という家業の危機に立ち上がったかたちだが、気負いは一切ない。火中の栗を拾う覚悟だった範恭さんとは対照的である。とはいえ、いざ働きはじめると心境に変化が。思いのほか企業規模が大きいことに面食らったのだ。「自営業くらいの気持ちでいたら、150人以上の従業員を抱えていた。みんなの雇用と生活を守らなきゃと、会社を理解するにつれて覚悟が固まっていきました」。
三度の出産を可能にした
父と娘の絆。
舞さんが社長に就任したのは、入社からわずか3年後。範恭さんが64歳、舞さんが34歳のときである。実は入社の時点で、交代時期について話し合っていたのだという。「幼い頃、経営方針をめぐって父と祖父がケンカしているのを何度も目にして、同じことを繰り返したくなかったんです。少なくとも、父が亡くなるまでの最後の5年間は、仲のいいパパと娘の関係に戻りたいよねと話しました。それで、父に何歳まで生きるか聞いたんです」。この問いに対する範恭さんの回答は「75歳くらい」。舞さんはそこから逆算し、70歳で相談役を退任、64歳で社長を退任するプランを範恭さんに提案した。社長業の引き継ぎ期間を5~6年ほど設け、もし険悪な仲になったとしても、最後は元の関係に戻れるようにという思いからだ。
社長になった舞さんには、経営者としてやりたいこと、やるべきことがたくさんあった。新商品の開発、直販の強化、設備の入れ替え。これらにすぐ取り組んだかというと、実はそうではない。舞さんにはどうしても譲れないライフプランがあったからだ。「結婚して、40歳までに子どもを3人産むことです。周囲からは、社長になったら結婚できないぞと言われましたが、なんとか実現できました(笑)」。予定通り、現在39歳の舞さんは3児の母である。一度立てた目標はゴールから逆算して、着実に実行する。これも経営者の才覚だろうか。もちろん三度の出産の前後は、社長業を休まざるをえない。その空白期間を埋めたのは範恭さんだ。「娘はね、妻に似て自由奔放。周りを巻き込んででも、やりたいことを貫いちゃう(笑)」そう言って舞さんに笑いかける。家業だからこそ、そしてこの父と娘の絆があればこそ、柔軟な舵取りが可能になったのだろう。
「やっと本気を出せる(笑)」。
3人目の子が1歳になった今、舞さんは社長業にやる気をみなぎらせている。注力分野のひとつが新商品の開発だ。基準は父譲り。「自分が美味しいと思うものを」。範恭さんがその本質を説明してくれた。「最高の素材を使うなら、味つけはシンプルでいい。日本料理のように。でもうちは家庭向けの米菓だから、アプローチは真逆です。一般に流通する原料を使い、味を乗せることで美味しくする。“組み合わせの妙”で勝負しています」。
もちろんヒット商品の開発は簡単ではない。美味しくても、売れるとは限らないのだ。数年前に発売した「パクチーあられ」は舞さんが考案した自信作だったが、しばらくすると小売店の棚から消えてしまった。「パッケージもアジアンテイストのイラストにしたんですが、オシャレなお店にはなかなか置いてもらえなくて。でも本当に美味しかったんですよ」。売れなかったことへの悔しさをにじませつつも、自分の思いをぶつけた挑戦の日々に後悔はない。「若者向けの米菓は難しい。スナック菓子で育ってきた世代だから。私もたくさん挑戦してきたけど、なかなかうまくいかなかった。娘も同じことを繰り返している」。そう言って範恭さんが笑えば、舞さんはこう返す。「学びを活かして、また挑戦するつもりです。私も父に似てスーパーポジティブなので(笑)」。ネット通販や店舗直売にも力を入れている。自信作を自分たちで販売するのは、売り込みにも熱が入って楽しいという。「やっと本気を出せるときが来ました」。有言実行の舞さんの言葉には説得力がある。
わが子に「継ぎたい」と言わせたい。
「保育園の入園申請書を提出するとき、職業欄で「自営業」にチェックを入れたら、『新美さんは会社経営者ですよ』って窓口の方から笑われちゃって。そのとき初めて、うちって企業なんだと知りました(笑)」。この一件が物語るように、舞さんのなかでは「企業」という意識があまりない。従業員数は150名を超えるが、あくまで町のおかき屋であり、「家業」なのだ。
範恭さんはきっぱりと言う。「株式上場して規模を大きくしたり、銀行の人に社長をお願いしたり。そんな同業他社をたくさん見てきましたが、利益や成長を追求しても面白くない。自分が美味しいと思うおかきを多くの人に食べてもらうことが大事。儲かることにこだわりはありません」。この思いは舞さんにも引き継がれている。今後も変わらずファミリービジネスを貫いていくだろう。
もし経営コンサルタントがやって来たら、計画的な設備投資や、データに基づいたマーケティング、採用・人材育成の強化などを説くかもしれない。「家業から企業へ飛躍するべきです」と。だが、果たしてその道が正解なのだろうか。思い出されるのは、楽しそうに言葉を交わす父と娘の姿、互いを見る眼差しのやさしさである。「家業」の理想形を見たような気がしてならない。企業化するほど失われがちなこの温かさ、人間味こそ、未来に継ぐべき財産なのではないだろうか。
舞さんは最後に、今後の抱負について語ってくれた。「私が継いでいるくらいだから、誰が社長になってもおかしくない。将来、子どもたちのほうから継ぎたいと言ってもらうのが夢ですね。それから、いま働いている150人と一緒に歳を重ねていけたら嬉しい。私を育ててくれた家族のような存在ですから」。
編集担当:稲葉 巧
「大好きなパパだから」なんてふつう言えません
いい意味で社長然とせず、誰とでもフランクに接する舞さんと、相談役としてサポートに回る父・範恭(のりやす)さん。舞さんの「早く引退してほしい」という冗談めかした言葉も、「大好きなパパだから」という愛情あふれる言葉も、お二人の間に確かな絆があればこそ。とても素敵な父娘の関係だと思いました。