森藤技研工業(株)
愛知県春日井市勝川町1-1-27
TEL:0568-31-2134
https://www.morifujigiken.com/
こんなに腰の低い人が実は・・・
「昭和10年の創業時は、森藤ネームプレートという社名でした。現在の社名になったのは昭和38年だったかと思います」。
会社のあらましを説明してくれたのは営業部課長の森靖洋さん。フランクで話しやすい。そして、まだ40歳前後と見えるのに、会社の歴史にきわめて詳しいことに驚く。
「江戸時代は刀鍛冶関連を生業にしていました。実は、当主になると『森藤左エ門』を襲名するのですが、今もその伝統は残っているんです」。
気が遠くなるほどの長い歴史をもち、伝統を重んじる会社である。森藤技研工業の「森藤」(もりふじ)は、姓と名から1字ずつ取ったものというわけだ。・・・ん?となると、もしかして――。こちらのハッとした顔に気づいた森さんが微笑む。
「そうなんです、私が現社長・森藤左エ門の息子です」。
森さんの物腰の柔らかさにすっかり油断しきっていた。まさか次期社長だったとは。われわれ取材陣は一様にバツの悪い顔を浮かべつつも、気づかなかった理由を正直に伝える。
「跡継ぎのようには見えませんよね。私の未熟なところです。ちなみに父は、もっと腰が低いですよ。すぐふざけて人を笑わそうとする(笑)」。
そう言って森さんは場を和ます。人好きのする笑顔もまた、代々受け継がれているのかもしれない。森藤技研工業の柔軟さを見た気がした。
たびかさなる技術導入で、ニッチトップへ。
森藤技研工業が現在の金属表面処理で創業したのは1935年。バイクのネームプレートなど小型のものを中心にエッチングしていた。エッチングとは、ステンレス自体を腐食させることで、文字や柄を半永久的に彫り込む加工法を指す。転機となったのは、あるとき近隣のメーカーから、大板にエッチングしてもらえないかと相談されたときだった。
「エッチング自体はありふれた技術ですが、大きいものに対応できる会社となると、そう多くはありません。今でも国内に10社あるかないかです。このとき大物に対応できる設備を導入したことが、その後の事業内容を決定づけました」。
これを契機に、建具や什器など大物のエッチングも手がけるようになり、エレベーターの内装パネルに関しては国内トップクラスのシェアを誇る会社へと飛躍を遂げた。
1970年代には、色をつけたカラーステンレスのニーズが高まる。これを受けて最初に導入したのが、はるばるイギリスのインコ社から技術提携を受けた「インコカラー」の設備だ。
「ステンレスを薬液に浸漬させ、表面に薄い被膜を形成し、光の干渉の原理で自然発色させる加工法です。安価かつ短納期で着色できる点が支持され、建材関係の分野では今もたくさんのお引き合いをいただいています」。
ただ、インコカラーも万能ではない。薄い膜がステンレスの表面についているだけだから、触ってしまうと色が変色するなどの可能性がある。また、材料ロットによって色のブレも生じやすい。これらの点が、品質基準の厳しいエレベーターの意匠において課題となっていた。
2002年、顧客からの要望に応えるかたちで、スパッタリング工法を用いたチタン系カラーステンレス「MG-Glanz」(MG-グランツ)の設備を導入。今度はドイツのメーカーから取り寄せた。
「チタンが表面に乗るので、材料の凹凸の影響を受けづらく、色が合いやすい。昇降機メーカーさんはカラーステンレスといえばこちらの『MG-グランツ』一択ですね」。
とことん要望に応える。“最先端”を獲得するために。
このように、提供サービスの幅を広げることで、あらゆるニーズに応えられる体制を構築してきた。それによって、エレベーターの内装パネル加工においては、国内トップクラスのシェアを守りつづけている。目を見張るのは、とことん要望に応える柔軟な姿勢である。森さんは言う。
「エッチングの大板対応、インコカラーやMG-グランツの導入。いずれも顧客からの要望を断らず、設備投資に踏み切ってきました。タイに拠点を開設したときもそう。毎回毎回、ものすごい額の設備投資です(笑)。でも、こういうことの積み重ねで会社を発展させていったんです」。
当然、そこには苦労も多いに違いない。森さんと同期入社で、MG-グランツを含む設備関連の責任者である長尾さんは、技術面での悪戦苦闘を挙げた。
スパッタリング工法を用いた「MG-グランツ」の設備と、反応の様子を小窓から注視する長尾さん。この設備ユニットの内部は真空で、微量のアルゴンガスを混入させている。高電圧をかけるとアルゴンガスがプラズマ状態となり、ターゲット(チタン)に衝突し、それにより弾き出されたターゲット(チタン)の分子を製品に強固に密着させることで着色する。
「技術者として大変なのは、機械が故障したときです。ドイツのメーカーを相手に問い合わせしないといけないので。間に商社を挟むこともあって、1回質問を投げると返事が返ってくるのに2週間もかかる(笑)。できるだけ自分たちで調べて、ありったけの情報をそろえて送っておき、1週間後に『こうすれば直りますよ』という返事をもらう。それでようやく解決できます」。
なぜ、こうした苦労をいとわないのか。やはり、獲得できる技術が市場優位性につながるからだろう。
「はじめは知識がなくても、試行錯誤することでノウハウが蓄積されていきます。機械のメンテナンスにも慣れてきて、今ではだいぶ勘どころをつかんでいます。去年、そのドイツのメーカーを表敬訪問しました。お世話になったエンジニアにお礼をするためと、最新の技術動向を教えてもらうためです。カラーステンレスに関して、ヨーロッパは日本よりもずっと先進的。非常にいい勉強になりました」。
「うちにしかできない技術を、絶対に残したい」。
エッチングもカラーステンレスもあくまで“贅沢品”であると森さんは言う。
「なくても成立するし、誰も困らないんですよね。それでも、ホテルのエレベーターはエントランスの次に目に入るものであり、ラグジュアリー感を醸成するうえで大きな役割を果たします。高級品だけど、お金をかける価値がある。そう考えるお客様はやはり一定数いるんです」。
景気が後退すれば、“贅沢品”の売上はわかりやすく減少する。だが、ニーズ自体が底をつくわけではない。だからこそ、このニッチな技術を絶やすわけにはいかないのだという。実際、茶色いくすみを施す「硫化いぶし」など、今では森藤技研工業にしかできない大板加工がたくさんあるという。ニッチトップ企業は、希少技術を守る最後の砦なのだ。
「うちにしかできないこの技術を絶対に僕は残していきたい。働く仲間たちにも、『こんなすごいことをやっているんだ僕たちは』という誇りを持ってもらえたら嬉しいですね」。
編集担当:相宮 祐太
柔軟で、クレバーで、誇り高い会社。
森さんの物腰の柔らかさは、顧客の要望に応える森藤技研工業さんの柔軟さと重なります。その柔軟さの奥には、いい意味でのしたたかさもあります。技術の最前線に飛び込むチャンスと捉えてきたからです。そして、獲得した技術に誇りを持っているのが素敵だと感じました。